©︎野坂昭如/新潮社,1988

高畑勲監督の代表作とも言える「火垂るの墓」。

「火垂るの墓」で泣ける場面として有名なのが、主人公の妹・節子の埋葬シーン。

あまりの絶望感に気落ちしてしまう人も多いことでしょう。

ところで、そんな節子の死因をご存知でしょうか。

彼女の死因は栄養失調や背中にできた湿疹(しっしん)など…様々な説があります。

と言うわけで、ここでは節子の「本当の死因」について考察していきたいと思います。

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命を落とした節子。「火垂るの墓」が描く戦争のリアルさ

©︎野坂昭如/新潮社,1988

第二次世界大戦の時代に生きる人々をリアルに描いた作品「火垂るの墓」。

「火垂るの墓」の主人公は清太と妹の節子。空襲を受け、まだ幼い年齢の兄妹だけで生きていかなければなりませんでした。

唯一の親戚のおばさんの家に身を置かせてもらったものの、おばさんには清太より年上の娘も居ました。おばさんは娘にだけ白米を食べさせ、節子たちには薄い雑炊を食べさせていたのです。

そんな肩身の狭い生活から抜け出すため、清太はたまたま見つけた防空壕跡で節子と2人で暮らし始めます。

しかし、年齢を考えると彼らはまだまだ幼く遊びたい年頃。それでも自炊をしたり生活用品を揃えたりと、彼らなりに生き延びようとしました。

「火垂るの墓」の中では貴重な2人の笑顔。節子と何とか幸せに暮らせるように奮闘する清太も、節子の笑顔に救われているようでした。

しかし2人の食糧はすぐに底を尽き、苦しい生活が待ち受けていました。また、節子の体中に湿疹が出始めたのです。

湿疹も治らず下痢が続いていた節子はついに倒れてしまい、栄養失調だと診断されます。

その後、紆余曲折を経て、ようやく手に入れたスイカを一口食べたところで節子は息を引き取ってしまいました。

節子の死因は湿疹、それとも栄養失調?

©︎野坂昭如/新潮社,1988

死因として考えられるのはまず湿疹です。

死因とされる湿疹が節子の背中に表れますが、清太は最初その湿疹を汗疹(あせも)だと思っていました。現代でもこの年齢の子はよく汗疹ができるので不思議ではありません。

汗疹による湿疹は海水で流すと改善することがあり、節子の体を海水で流しました。

しかし湿疹は悪化。最初は一部に出ていた湿疹も背中一面に広がり、節子は湿疹に海水が染みると痛がります。

実はこの湿疹。汗疹ではなく「疥癬(かいせん)」だったという説があり、これが死因になった可能性があるのです。

2人が住んだ防空壕跡の衛生面に問題があったことは明らかで、現に節子の髪には虱(しらみ)もついていました。

疥癬は湿疹と強い痒みを伴うため、掻いた傷から細菌が入って感染症を引き起こした可能性があり、これが死因に繋がったとも考えられるのです。

そして、もう1つの死因とされるのが栄養失調

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節子は倒れた際に栄養失調という診断を受けました。それを聞いた清太は、必死で食べ物をかき集めようとします。

おばさんの家に居た頃も元々お腹いっぱい食べられていたわけではなかったものの、最低限の米や野菜を口にしていたので栄養失調にはなりませんでした。

しかし2人暮らしが始まってからはまともに食事が摂れず、栄養失調は避けられませんでした。年齢を考えると成長のために特に栄養が欠かせない時期ですよね。

節子の体は年齢にしては小さく見えましたし、栄養失調が死因だとしても何ら不思議ではありません。

ただし、同じ食生活だった清太はなぜか栄養失調になっていません。このことから節子の直接の死因は「栄養失調ではない」とも言われているのです。

節子の本当の死因は「黒い雨」!?火垂るの墓が伝えた空襲の恐ろしさ

出典:http://mangadojyo.doorblog.jp/archives/11190195.html

「火垂るの墓」の衝撃的な空襲シーン。清太と節子に雨が降り注ぎ、その雨粒が節子の目に入りました。

この雨粒こそが「本当の死因」ではないかと言われているのです。

雨粒がなぜ死因になるのか?

「火垂るの墓」で描かれた時代では、工場の有害な煙や原爆の放射線が含まれた有害な黒い雨が目から体内に入り込む事例が多発。これによる免疫低下が報告されていたからです。

節子の年齢を考慮すれば雨のたった一滴でも影響があったと推測できます。

「火垂るの墓」では節子が目が痛いと訴えたり、しきりに目を擦っていましたよね…

「火垂るの墓」はリアルさを描くことに重点を置いた作品。

よって、この行為が全く意味のないものだとはいささか考えにくいのです。

免疫力が低下している中、不衛生な環境で生活したことにより湿疹の悪化や栄養失調を引き起こしてしまった。

これが死因になったと考察されます。

また節子は下痢が続いていて、栄養失調に加えて食中毒による腸炎も発症していたと考えられます。

4歳という年齢を考えると極めて過酷な状況下にあったのです。

さらに、清太が「これはおはじきやろ、ドロップちゃうやんか」という「火垂るの墓」の中でも印象的なセリフ。

これは栄養失調で意識が朦朧として動けなくなった節子が、ドロップを想像しておはじきを口にしていた時のシーンです。

現代の4歳児といえばお菓子をたらふく食べたい時期。そんな子供が湿疹だらけで栄養失調を起こして、間違っておはじきを舐めていたなんて…気の毒以外の何物でもありません。

その後、清太も生き延びる気力を喪失。最後は節子の後を追うように命を落としています。

「火垂るの墓」の節子の死因を考察するにあたって現代生活のありがたみを実感してしまいますね。

まとめ

https://type-r.hatenablog.com/entry/20160629

今回は「火垂るの墓」のヒロイン、節子の死因についての考察でした。

明確に死因が描かれているわけではないものの、湿疹や栄養失調、目の痛みなど様々な要因が重なって死に至った節子。

「火垂るの墓」で描かれた過酷な生活から目を逸らしてはいけないと感じました。

涙は避けられない内容ですが、年齢を問わず多くの人に観ていただきたい作品です。

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